彼女のところに転がり込んで600万の借金を返す40代ブログ

ブログ名の通りです。最大600万あった借金を彼女のうちに転がり込んで借金返済をする哲学的なブログです

僕に借金をされた街と僕が借金をした街② お酒の話ばっかりですみません

前回パート①はこちらです!

yonche.hatenablog.com

6.懐が深い街におりたった僕:お酒遍歴

東京の、今のところに住む前の僕のお酒遍歴をまずは

なんというか、よくあるお酒遍歴しか辿っていませんので本当に何にも面白くないんだよなあ

1.大学生:普通にサークル、友達界隈とチェーン店飲み

2.社会人1年目(24):社会人1年目病にかかる、赴任地が金沢になり日本酒を覚える

3.社会人3年目(27):接待先の先生からウィスキーとジャズバーを教わる

4.社会人7年目(31):転職、職場の人がほぼお酒を飲まない為1人のみにはまる

5.社会人8年目(32):一番おいしいお酒はビールだと思い始める

6.社会人10年目(34):ガールズバーにちらほら行き始める

7.現在:最大借金600万まで膨れ上がる

6と7の間に何があった?

 

6-1.大学生:普通にサークル、友達界隈とチェーン店飲み

これ、20年以上前の話になるので、今の若い人のチェーン店のイメージとは全然違う頃の話です。とにかく昔のチェーン店は焼酎、日本酒がめっちゃまずかったです。焼酎はいわゆる甲類の安焼酎、日本酒はアルコール添加の安日本酒、このせいで当時の若者は焼酎と日本酒に対してまずいというイメージを持つ人が多かった。決して甲類の焼酎が全部まずい、アル添してる日本酒が全部まずい、という訳ではありません。ただ当時のチェーン店は安く大量に作る為の焼酎、日本酒を揃えており、学生はラインナップの中の一番安いものを頼むので、の悪循環です

nikkan-spa.jp

anz-shop.com

私も大学生の時はそのせいでお酒あんまり好きじゃなかったなあ。ビールは苦い、焼酎・日本酒はまずい。ファジーネーブルとか好きでしたね。可愛い。食べちゃいたい

それと学生の本分はやっぱり自宅飲みですよね?よくやってましたね。学生の自宅飲みなんてもうそれこそもっとお酒の質になんかこだわりませんからね。ひたすら杏露酒飲んでた記憶がある。知ってます?杏露酒

 

6-2.社会人1年目(24):社会人1年目病にかかる、赴任地が金沢になり日本酒を覚える

くっそにわかじゃん、ミーハーめ、と絶対言われることを告白します

絶対そういわれるのであまり人前では話さないんですが...日本酒にはまるきっかけは、そうあまりにも有名な十四代シリーズではまりました...あ、やめて日本酒好きとかいうなとか言わないで...

sake-5.jp

社会人1年目、半年におよぶ研修を受けた後の最初の赴任地が金沢でした。なんで金沢で十四代?と思うでしょうが。当時の業種はめちゃくちゃ飲み会の多い業種の営業でしたので、とにかく毎日接待か先輩に連れまわされていました。まじで毎日。今なら大問題ですけどおおらかな時代でしたのでね。そんでまあやっぱり金沢ですしそれなりにいいお店に連れて行ってくれるので、希少な日本酒を置いているお店とかにも連れて行ってもらう訳ですね。そこで飲んだ十四代、たぶん本丸だったと思うんですけどめっちゃ美味しい~ってなってそこから日本酒にはまりました。当時でもプレミア酒でしたけど、今ほどじゃなくてちょっとこだわっているお店でしたら石川県なら普通においてありましたね、十四代。あ、そこから日本酒にはまりましたので、石川のお酒にもちゃんとはまりましたよ。天狗舞手取川菊姫の3ブランドは金沢のお店では御用達。古酒というものを初めていただいたのもこのあたりですね

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それと、この辺でしっかりと社会人1年目病にかかってます。知りません?社会人1年目病。俺たちもうチェーン店とかではまずくて飲めないなーってやつです。私が勝手にそう呼んでいる病気ですけどいっこうに流行りません。こうやって人は人生の選択肢を少なくしていくんだなあと今なら思えますけどね。まあ今でも味の違いなんか対して判らないのでお前がいうな状態ですけどね

 

6-3.社会人3年目(27):接待先の先生からウィスキーとジャズバーを教わる

当時はいわゆる病院の先生と接待をするのがお仕事、というような仕事についておりました。というとよく大変ですね、と言われますけどそんなことなかったですね。病院の先生って当然ですが頭が良くて教養がありますからね。お客さんの質としては最上級じゃないですか。ちゃんと先生の意図を組んで失礼なく仕事してれば特に若い営業には優しいですよ。そんで先生のおかげでめっちゃくちゃいいお店にいけるわけですからね。会社の名前で基本的にかなり敷居の高い高級店も予約普通に取れますし

石川県金沢市が担当でしたので、接待は7割くらい寿司屋でしたね。金沢の有名な寿司屋は当時のものはほぼ行ったと思います。その中でもダントツでやばいほどおいしかったのは小松弥助というお店。味なんかお前わからんやろ、って感じですが、あ、やばいくらい美味いと思ったのはほんとにここです。そして、何よりも当時は会社の名前で先生につれてきてもらってる若造だった自分にも、いっぱい食べなよっていって手渡しでうなきゅう(鰻をきゅうりをのりでまいたやつ)を手渡してくれるんですよね。神だわー。まだ現役でやられているみたいです。僕が言っていた時はホテルの1階にあったときでしたねえ

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先生にウィスキーを教わった話でしたね。そんなわけでもちろん嫌な先生もいましたけど、仲良くなって友達みたいになる先生もいるわけです。このウィスキーを教えてくれた先生は、1次会は君がだしてくれたから2次会は俺が出すねっていってくれる素敵な先生。いや1次会は会社の金なんでっていってもいいからいいからっていう人。素敵すぎて僕が当時気になっていた他社同業営業の女の子食べられちゃいましたけどwまあしょうがない、人間的魅力が段違いでしたから

その先生がジャズが好きで、自身も少し演奏される方なんですけど、ジャズバーによく連れて行ったもらいました。初めて連れて行ってもらった時に先生に教えてもらった言葉は一言一句覚えています

「いいか、ウィスキーなんて3種覚えてりゃいいんだ。ボウモアラフロイグ、タリスカ。これだけ回してりゃそれでいいんだよ」

今だと、スモーキーなウィスキーがお好きなんですねとか言っちゃうと思うんですけど、たぶんそういうこと言わなくて全部へ~って感じですっごいすなおに聞いていたので可愛がられたんだと思います。可愛い。食べちゃいたい

cask-investment.com

当時はまだハイボールが流行ってなくて、BARでもあんまりソーダ割してる人もいなかったなような気がします。基本は水割りで飲んでました。美味しんぼでもウィスキーは水割りが一番うまいって言ってたしね。山岡さんのいうことは全部正義だから

この先生のおかげで初見のBARにいっても大丈夫になりましたね。あるじゃないですか、メニューのおいてない系のBAR。でもボウモア置いてない店なんて絶対ないし、最初にボウモア飲んどいて、次に他のアイラのウィスキーなに置いてます?っていえばとにかく場は持つし。バーテンダーの方に話を聞くとこういうたいして詳しくないな、こいつってのは分かるらしいですけどw女の子連れて行ってる時にまごつかなければそれでええんよ。お店の人はプロだから話あわせてくれるし

たまに何年のがいいです?って聞いてくるバーテンダーいますよね?あれ良くないよ。そこは10年と12年どっちにしますとかって聞いてくれないと!こっちは隣のこにかっこつけたいだけなんだから!そんなに知識ないの見たらわかるでしょ!まあ少しかっこ悪い風よそおっていや、安いほうでいいですよって返しを見つけてからは乗り切れてますがね

当時バーテンダーという漫画が連載されていてそれを読んでいたので今でもバーテンとは絶対に呼ばないようにしています。良い思い出

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あ、全然街の話をせずに1パート終わっちゃった...

 

6-4.社会人7年目(31):転職、職場の人がほぼお酒を飲まない為1人のみにはまる

次回パート③はこちら

yonche.hatenablog.com

全然借金の話がでてきませんが、借金の原因の根底にあるのはお酒なのでね...ただお酒を悪者にするような書き方はしません。悪いのはそれを扱う側です。何事もほどよくが一番いい、がこのシリーズのテーマです